光市の母子殺害事件について
僕自身、これまで人を殺したことはありません。
血を見ると気を失いそうになるヘタレな性分。痛くするのも、痛くされるのもごめんこうむりたいと思うようなタイプ。できれば、 これからもこの種の話から無縁な人生を送りたいと思うわけです。
とは言うものの、人間ですから、常に理性的な判断を行えるわけではないでしょう。かっとして、押し倒したら当たり所が悪くて…… とか、とっさに手近にあったもので……なんてことは、充分考えられるのかなと思います。
しかし、光市のあの事件は、今言ったこととは全然違うのではないかと思います。
さらに言えば。
僕が好きな人が強姦された。それだけで僕にとっては、加害者に対してどうしようもない気持ちになります。ましてや、 彼女が相手を拒否した結果、殺されてしまった。彼女の無念な気持ちを思うと、気が狂いそうな気持ちになります。さらにこの事件で言えば、 好きな人との間にできた子供まで殺されてしまっているわけです。もうね、被害者の遺族の方の心情を思うと、 いたたまれないという言葉が陳腐なほど、やるせない気持ちになるわけです。
僕自身は死刑廃止論にどちらかといえば共感します。しかし、死刑廃止の活動は立法の場で行うべきであって、 個別の事件の司法判断の場で行うべきではないと考えています。なぜなら、まさに光市の事件がそうであるように、個別の事件に立ち入った場合、 加害者を憎んでも憎み足りないという被害者遺族の感情の前には、どのような理性的な理屈も無力だからです。
僕は加害者の弁護をするなと主張しているわけでもありません。一見、誰がどう見ても有罪だと思われる犯罪者であっても、 弁護される権利は有するべきだと思います。しかし、それは被害者とその遺族を不当におとしめない範囲での弁護であるべきだと思います。 「復活の儀式で死姦した」とか、ましてや「(被害者女性が)我が身を守るために赤ん坊を投げつけた」なんてことは言って欲しくないのです。 それを聞かされた遺族はどう思うでしょう? ましてや被害者の女性と子供が生きていたら、なんて言うでしょう? 死人に口なしだからこそ、 弁護士は死者の尊厳は守って欲しいと思うのです。
正直、光市の事件の弁護団の発言を聞くと、腹立ちを通り越して嘔吐感を覚えます。懲戒請求は却下されたとのことですが、 弁護士会の方々、死者の尊厳を損なってでも弁護するのが弁護士の本分と本気で思われているのでしょうか?
と言いますかね、もし僕が同じ立場に置かれたら、今の弁護団の発言を聞くにつれ、
「もうね、裁判はいいよ。有期刑でもいいよ。その代わり、出所してきたら襲うよ。それで返り討ちにあって殺されてもいいし、 本懐を遂げて加害者を殺して、それで有罪になって死刑になってもいいよ」
という気持ちになると思います。これって自ら司法の価値を否定していることになりませんか?
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