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2009年5月

2009.05.17

呑んだら乗るな

 僕は地方出身者です。最寄り駅まで車で30分とかの世界で育ってきました。実際、今の実家は、最寄り駅まで車で1時間弱です。

 東京都内では、車よりもむしろ鉄道の方が圧倒的に便利です。飲み会終了と言っても、日付を越すくらいまで呑んでることは (特にお付き合いなら)それほどなく、しかも最終は日付を越してもまだあるくらいです。しかし、地方では、そんなわけにもいきません。 23時頃には確実に終電を意識しなくてはいけませんし、僕自身、実家に帰る際には21時30分が最終です(京都発)。帰省したときに、 大学時代や亀岡時代の友達とちょっと食事を……というのも難しいのが正直なところです。

 そして、地方では、お酒、結構出てきます。僕くらいの年代まではお酒が飲めてようやく一人前の男という雰囲気は確かにあります。 「飲めない」というと、鼻で笑われる感じです。「ウーロンハイ」でも、「うわ、気取ってる~!」という感じです。男なら、 黙って最初はビール。それでもってポン酒。こんな感じです。九州とかならポン酒ではなく、焼酎ってことになるのかもしれませんね。

 なので、例の福岡の飲酒ひき逃げで3人のお子さんが亡くなった事件、加害者の言い分も分かるような気がします。

「みんな普段やってるっしょ? たまたま事故ちゃっただけ。それなのにどうしてこんなに刑が重いの?」

 うん、おっしゃるとおりだよね。そんな風に思います。

 でもね。

 司法関係者を含めた識者の人たちが

「殺人でもこんなに重くない」

 とおっしゃるのは、バカか? 何のための司法専門家なんすか? と思ってしまいます。

 違うよね。

 被害者にしてみれば、突然、追突されました。追突の衝撃で車が川の中に落ちました。一生懸命、 水の中に潜って子供を助けようとしました。でも、助けられませんでした。自分の無力さに絶望的になりました。

 亡くなった3人のお子さん。助けられなかったことについて今なお自責の念を感じておられるご両親。何か落ち度はありましたか?  酒を飲んだのも加害者の勝手。ハドルミスも加害者の勝手。一方的な勝手によって、3人の子供の命が失われ、残されたご両親が苦しんでいる。

 「みんながやっていることだから」で、どれだけのことをしでかしてしまったのか、それを加害者に気づかせるのが司法でしょう?

 裁判員制度は始まってしまった理由は、まさに司法関係者が人の命や尊厳を、なんだかお金のやりとりに模して、 簡単に片付けちゃおうとしてしまっているんじゃないかという不信にあると僕は考えています。 殺したのは1人だから懲役10年が妥当とか言われると、殺された人は、なんだ残り10年分の人だったんだ。違いますよね?

 僕が尊敬していた先輩をこの種の飲酒関係の事故で失っているのでナーバスになっている。加えて、姪っ子が可愛くて仕方がないので、 同年代のお子さんが亡くなる、お子さんを亡くしたご遺族の方々の立場になるといたたまれない気持ちになってしまう。そんな背景を抜きにして、 ホント、呑んだら乗るな! そう言いたいし、それを破った結果については、真摯に受け止めて欲しいと思います。

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2009.05.16

サイバーエージェントの「男の子牧場」について

 男性が女性を品定めする。僕は男性なので、「あり」だと思っています。誰彼構わずでも、勢いででもなく、 ちゃんと一緒にそばにいて欲しいと思える人を選ぶ。悪いことではないと男の僕は思います。

 逆に。

 女性が男性を品定めする。上記と同じ理由で、僕は悪いことではないと思います。

 品定めの際に、自分の直感や考えだけではなく、周りの人の意見も聞く。これだって悪いことではないと思います。

 なので、一部で騒がれているサイバーエージェントの例の件について、なにがどう問題なのか、ちっとも分かりません!

というのは釣り。

 まー、あーだこーだ言わなくても、男女逆のサービスを発表したら、どういうことになるか火を見るより明らかなわけで、 男だから大丈夫だろって考えが、そもそも「男女平等」をうたっている憲法に反するわけで、 そんな基本的なコンプライアンスすら把握できていなかったサイバーエージェントのコンプライアンス組は、高い給料もらって、 どんな仕事をしているのか。つーか、サイバーエージェント経由で広告を出している側としては、なんか今回、 七面倒なシステムを勝手にこしらえて、一方的にコンプライアンスを守るために使えと営業が迫ってきている中、本体は何をやっているのか。 営業の子が熱心でできる人だけに、イライラの対象はコンプライアンス組に向かうのですが、本当になにやってんの!? 左舷、弾幕薄いよ!  とブライトさん的な気持ちになって、見守っている昨日今日。

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政党のポスター

 ただいま絶賛風邪ひき中です。今回の症状は、鼻水や咳はそれほどありませんが、熱とおなかに来るようです。皆様、 お気を付けください。

 とは言うものの。

 昨日に比べれば、熱は引いてきたので、ひとまず近くのコンビニにミネラルウォーターを買いに行ってきました。 一人暮らしはお手の物ですが、こういう時は、やっぱりちょっと辛いですね。

 ともあれ。

 政党のポスターっていったい何だろう? と風邪引いているので、ついつい剣呑な方向のお話し。

 あれほど需要と供給が一致していないものってないのでは?

 例えば、料理屋さんの前に立っているのぼり。ラーメンとか、うどん、蕎麦、定食、天ぷらなんかが書かれているものが立っています。 確かに人によっては「歩くのに邪魔!」とイラッとする人もいるかもしれませんが、一方で昼時に「今日、なに食べようかなぁ~」 とぼんやり歩いているときなんかに、のぼりを見かけると「ラーメンにしようか~」という気分になることだってあるでしょう。

 あるいは、電柱に引っかけられている不動産の物件売りだしの看板。正直、あれを見て連絡取る人っているのだろうか? という気がしないでもないですが、個人的には売り物件の看板が目立つ時期は不動産業界が不況の時、 買い物件求むの看板が目立つ時期は土地バブル終焉期と考えているので、そこはかとなく芳しい気持ちになれます。

 また、東京に出てきてからビックリさせられたものの一つに「探偵屋さん」のポスター。「あなたの夫(もしくは奥さん) の浮気の証拠押さえます!」みたいなやつです。これまた需要あるのかねぇ? と結婚したことのない人間としては思うわけですが、 切実な人には切実な問題なのでしょう、きっと。

でも、政党のポスターは、どうなんすか?

 まず第1に、ポスターに連絡先が書かれていることは、ほとんどありません。一部、共産党系の立候補者が「無料法律相談受付中」 なんて感じで連絡先を書いていることがありますが、通常は党本部の連絡先すら書かれていません。もちろん、一部の極右、 極左で聞いたこともないような(自称)政党は別ですけれど。

 第2に、党の代表、候補者がにっこり笑った写真が掲載されていることが多いのですけど、あれ、見て楽しいっすか? 基本、 政治家を仕事にしようとしている人って、男女の別なくギトギト系です。あぶらぎってます。僕は苦手なタイプです。 時々話題になるタレント候補者だって、たとえ元タカラジェンヌであっても、政治家を仕事に選ぶ頃には、 ギトギトな感じが顔全面に出てしまっています。やっぱり苦手です。ましてや、他のタレント候補については言わずもがなです。 何がいいたいかというと、容姿をとやかく言うのは最低の人間のすることだと思いつつ、 やっぱり美的鑑賞には堪えないよね~と思ってしまいます。色遣いも正直感心するものありませんし……。

 つまり、需用側にとっては、

  1. ポスターから得た情報によって、次のアクションに結びつけられない
  2. 純粋に街の風景としても不快

なんのメリットも需要側は享受していないわけです。ダメじゃん。

 その上で、最近、ちょっと気になっているのが、一つの建物の壁に複数枚のポスターが貼ってあることです。

 これが全て違う政党なら、「我が家は思想信条に関して公平!」と公言したいのか、あるいは「頼まれると断れない」 お人好しさんなのか、まー、どちらかなんだろうな~と微笑ましい気分になります。

 あるいは、同じ政党のものでも候補者が違うとか、バージョンが違うのなら、「我が家はこの政党に入れ込んでます!」 と公言したいのか、あるいは「コレクションが趣味です」と言いたいのか、まー、どちらかなんでしょう。

 ところが。

 最近、東京界隈(あるいは我が家界隈だけ?)、 同じ政党の同じポスターを壁一面にペタペタ貼り付けているのを見かけることが多々あります。あれは、何がしたいんだろう?  違う候補者や違うバージョンを貼り付けているのなら、「こんな候補者がいます!」「こんなことも主張しています」だから「皆さん、 応援してね(は~と)」な感じなのだろうと合点がいくのですが、 同じポスターを何枚もこれでもかってくらい貼り付けている人の考えていることが想像できません。

 もしかして、お札と同じってこと? 悪霊退散? あー、そういうこと?

 なおなお、特定の政党をどーこーいうつもりは、まったくありません。

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2009.05.04

便乗して書いてみる:『最後のパレード』盗作疑惑

 なんだ、こいつは!

というのが、正直な最初の感想。

 例えば、

「なぜ最後のパレードだけが」の不思議
http://gpscompany.blogdehp.ne.jp/article/13443841.html

 この記事で書かれている内容をお読みになった方は、多分、唖然とされると思います。彼が主張しているのは、

問題にすべきは、パークバリューを高める「最後のパレード」ではなく、パークバリューを下げる、「エガワる思想」 の社会人として大切なことをディズニーランドから学んでいない元準社員」が書いたこの本ではないでしょうか。あるいは、 ディズニーランドを「詐欺呼ばわり」している「バカの壁」なのではないでしょうか。私はそう考えます。

????? さらに、

手塚治虫の盗作疑惑の真相について
http://gpscompany.blogdehp.ne.jp/article/13445151.html

 この記事で、彼はこんなことを言っています。

最後に・・・大きな疑問です。 ディズニーランドのオフィシャルスポンサーである講談社は、内部情報の「かたまり」 であるこの本を書く許可をオリエンタルランドに求めたのでしょうか。(この本は良書で、お勧めの一冊ではあります。)

 

聞いても「ノーコメント」でしょうから聞きません。それが、 「武士の情け」というものではないかと考えます。

 

 うーんとね、それとこれとは別問題ですよね。

 

 例えば、自民党(いや、 別に民主党でも社民党でも共産党でも公明党でもいいのですけど)について書く際に書く対象の許可が必要なんですか? いやまぁ、 そこは大人の事情w 許可が必要だとしましょう。でも、許可が出たからと言って、 他人の書いたものを自分が書いたと主張できる根拠には全くならないはずです。でも、彼の中では

 

本部から許可が出た→本部を礼賛するためなら何をしてもいい→他人の著作物を自分が書いたことにしてもOK!

 

こんな感じなようです。

 

 正直、ありえないよね! という気分になります。 同じ文章を書いている人なら、文章を書くことの大変さが分かるはずで、その意味で、 他人の書いたものを盗作することは禁じ手だと分かるはずです。でも、彼は全くその点について悪びれていないようです。むしろ、

 

「最後のパレード」 回収に関して

http://gpscompany.blogdehp.ne.jp/article/13444324.html

 

で、天皇陛下を持ち出し、 天皇陛下を悲しませるようなことをしちゃいけない(つまり、自分への批判をしちゃいけない)と虎の威を借る狐をやっているわけです。 はた迷惑なのは陛下の方です。お前さんの利益を守るために出席したつもりはないよって気持ちに、きっとなられるはずです。

 

 でも、件の彼は、いけしゃーしゃーと天皇陛下まで持ち出して、 色々と自分は正しいと言っています。

 

 えーっとね、あなたみたいな人を

 

提灯記者

 

こういうと思うのですが、どうなんでしょ?

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アグリビジネス?

最初に断っておきます。食糧の自給は深刻な問題だと思います。そして、僕は資本主義は完全だとは思っていないけれど、 他の経済体制に比べれば、まだましだと思っています。それでもって、今アグリビジネスに関わっている人、 あるいはこれから始めようとしている人をどーこー言うつもりは全くありません。

とは言うものの。

食糧自給率を高めるために農業も規模の経済を取り入れて、大型農園を創り出すべき、 そのためにアグリビジネスを振興しようという話になると、ちょっと「あれ?」と思ってしまいます。

大型農園、アグリビジネス、聞こえはいいけど、それって結局のところ、もう一度小作人を作ろうってことなんじゃないの?

小作人制度(あるいは寄生地主制度)の弊害や悪質さって、そんなに遠い過去の話ではなく、たかだか60年ほど前の話ですよね。 それを看板だけ変えて、もう一度持ちだそうってのは、僕の中では、やっぱり「あれ?」と思ってしまいます。

小作人、つまり自分で自分の土地を持てずに農業に従事する人。そして、その反対側に土地を持っているけど、 自分では農業に従事しない人。その上で、儲かるのは農業に従事しない人の方。これが明治以降から戦前の日本の農業の主流だったわけで、 これが個人だけでなく出自として格差を埋められない原因の一つになっていたわけです。

無論、社会全体(あるいは国家)として、この形態は効率のいいものです。チマチマと一家で農作物を作っている人からちょぼちょぼ年貢 (税金)を取るより、地主からまとめて年貢をもらった方が色々と都合がいいわけです。しかも、小役人やごろつき連中が接待受けるにしても、 チマチマとした家族経営の農民よりも、地主はちょっとしたセレブなので、どちらの方が待遇がいいか火を見るより明らかです。

なんて、ひがんだことはともかくとして。

小作人制度が危険だと思うのは、社会不安の要因に簡単に結びついてしまうことです。

そもそも第一次産業は天候の影響を直接受ける産業です。天候不順で作物の収穫量や質が変わるのは無論のこと、洪水、地震、 噴火なんてことになったら、たちどころにアウトです。そして、アウトになると何が起きるかと言えば、一揆(今風に言えば暴動)です。 そこまで直接的な行動でなくても、離散一家が都市部に流れ込んできて、都市部でも定職に就けず、結果、スラム街を形成するってのは、 現代でも視野を広げれば見受けられます。

古代ローマが共和政から帝政に移行した経済的な要因は、上記に書いたとおりのことが起きたからです。つまり、 元々古代ローマは農業国だったのですが、形態として小作農ではなく荘園制だった。で、荘園で働いていた小作人達が、より安い労働力 (海外からの移住者、奴隷等々)に取って代わられ、荘園を追い出された結果、都市部に集まり、仕事に就けず、 配給を頼りに生きる生活を強いられた。配給だけでは生活できないので、有力者の私兵になった。有力者は、 この私兵を背景にして議会の内外で圧力をかけた。こんな感じです。

個人的に心配しているのは、この小作人制度が、資本主義と結びつくことによって、 古代ローマの時と似たようなことにならないかと言うことです。

古代ローマ時代は、もちろん、資本主義とは無縁でした。それでも、大地主は、より安い労働力として、 海外からの移民やあるいは戦争によって得た奴隷を雇い、結果、ローマ市民権を持つ小作人を解雇しました。ましてや資本主義経済なら、 コストはなるべく安い方がいい。つまり、労働者の賃金は安い方がいい。都市部のコンビニや飲食店の状況を見ても、 アグリビジネスの下で何が起きるか、想像がつきます。

無論、海外からの人を雇うことは決して悪いことではないと思います。国籍で差別するのは、僕の趣味ではありません。そして、 同じことをしてくれるのなら、より安い人を使いたいという気持ちに経営者がなるのも分かります。

でもね。

それは本当の意味で「自給率を高めた」ことになるんでしょうか?

食料の自給率を高めること。それは大切なことだと思います。でも、その解決策として小作人を復活させるってのは、 僕はあまりにも安易な発想だと思います。小作人制度復活でもなく、かといって鎖国政策でもなく、 もうちょっと違う方法を考えた方がいいんじゃないか。そんな風に思います。無論、今の僕は解決策を持ち合わせていません。だからこそ、 頭のいい人も含めて、もう少しみんなで考えるべきでは?

 

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