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2009.06.19

人の死と言うことについて

 ちらっと。

 SF好きの人なら、人とは脳そのもの。たとえ体の全てが失われていても、脳が生きていれば、それは「その人」 であるという考えに共感するのだろうなと思います。

 かくいう僕自身。

 たとえ、普段くだらないことしか考えていないし、また、昨日の考えと今日の考えとは違うにせよ、少なくとも「今、僕は考えている」 からこその僕だと感じます。もし、僕が何も考えられない状態になったとしたら、それはもはや「僕」ではない。そんな風に思います。 直接的な表現は、なるべく避けようと思いつつ、あえて言えば、昨日と違う考えをしている僕は、依然として僕ですが、事故や病気、 その他諸々の理由によって、もはや何も考えられない僕は、もう僕じゃない。もうなにも考えられない時点で、僕じゃなくなる。 そんな風に思います。

そんな「もう僕じゃない」人の横で、まだ色々と考えられる人がいる。ただし、脳以外の問題によって、 今のままだと遅かれ早かれ命を失う人がいる。

「もう僕じゃない」人の部品を、まだ何か考えられる人のために役立てる。

 うん。そうなんだろうなって思いますよ、僕も。

 ましてや、幼い子供さんを持っていて、その子が脳以外の原因で生命が危うい。親としては、助けられるものなら、 できるだけのことをしたい。そう思うのも当然だと思います。たとえ、それが誰かの命を奪うことであっても。

 今回の法改正(衆議院通過状態)では、実際問題として移植可能としただけでなく、 脳以外の理由で生命が危うい子供をお持ちの親御さんの心理的負担(つまり、自分の子供を助けるために誰かを殺した)を軽減 (少なくとも法的には)することになるのでしょう。

 うん。

 ただ、やっぱり僕には解せないこと。

脳が死んだ。心臓は動いている。

 将来、医療技術の発展によって、心臓さえ動いていれば、 脳を再度生き返らせることはできないものなんだろうか。むしろ、本当かどうか分からないけど、お金のある人は、 冷凍保存とかに興味津々なわけでしょ?

 脳以外で生命の危機を迎えているお子さんをお持ちなご両親と全く同じくらい、 脳以外は生命活動を正常に行えているお子さんをお持ちなご両親だって、やっぱりいるわけです。それは近い将来、もしかしたら、 脳を生き返らせることができるかも? という淡い期待だからではなく、多分、素朴な感情。

「だって、息してるよ? 体、温かいよ? 死んでないよ?」

 それでも、「脳が死んでるから、息していても死んでるの!」と宣告され、さらに 「臓器提供しないんだ~。へ~」みたいなことになりそうな世論。

 いや、どっちも自分の子供を助けたいってエゴなんですよ。どっちもエゴなんです。そのエゴのどちらかは正しくて、 どちらかのエゴは間違ってる。いつか、誰かが決めなくちゃいけないことなんでしょうけど……。

 つーかね、そんなんこと、今の国会議員の人たち(どの党を支持しているかは別にせよ)に決定する権限、与えたっすか?

 全部が全部、直接民主制である必要は僕は全くないと思っていますけれど、でも、 所々においては職業政治家な方々はひとまず横にのいてもらってという方式をとれないものなんだろうか。

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