【更新記録】読後感想:山口雅也『續・日本殺人事件』

山口雅也の『續・日本殺人事件』(東京創元社)読了。
前巻が、コミカルな雰囲気だったのに対して、本書では一転してシリアスな作品になっています。
外国人が誤解している日本のイメージをふんだんにちりばめているのは前作同様です。しかし、 主人公の焦りや不安といった内面の描写が増え、全体的に心理小説のような雰囲気を漂わせています。
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山口雅也の『續・日本殺人事件』(東京創元社)読了。
前巻が、コミカルな雰囲気だったのに対して、本書では一転してシリアスな作品になっています。
外国人が誤解している日本のイメージをふんだんにちりばめているのは前作同様です。しかし、 主人公の焦りや不安といった内面の描写が増え、全体的に心理小説のような雰囲気を漂わせています。
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今日から関東地方、沖縄方面でも taspo となりました。これで全国一律自販機での購入には taspo が必要です。 めでたいですな~(棒読み)
基本的にお役所方面への手続きを面倒がる性格。taspo まだ持ってません。
でも、今日一日過ごしてみて、特別に困ったなと思ったことは1回だけでした。
その1回も喫煙できる休憩所(秋葉原の例の場所です)でボケーっと煙草を吸っていたところ、知らないおじちゃんから
「なぁ、兄ちゃん、taspo 持ってない?」
と声をかけられたことなので、僕自身が煙草を買えなくて困ったという訳ではありません。
ともあれ。
結局のところ、taspo で儲けたのって自販機メーカーとコンビニってこと?
とかうがった見方をしてしまう今日この頃。ま、いいんですけどね。
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一部で話題になっている例の新聞社ですが……。
新聞社「日本人女性の55%は、出会ったその日に男と寝る」
一般人「では御社の女性社員の55%は、出会ったその日に男と寝るのですね」
新聞社「名誉毀損です。訴えます」
えっ!?
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牧歌的と思われるかもしれませんが、ちょっと分からないことの一つに
マスメディアの中の人は、どうしてネットを敵視するのだろう?
というのがあります。
考えてみてください。自社の商品の流通経路が増える。それを嫌がる人がいるでしょうか?
僕の理解ではマスメディアはコンテンツ・ホルダーです。確かにコンテンツ・プラットフォームの側面もあるかもしれませんが、 本質的にはコンテンツを生産し、それを世の中に伝えていく存在だと思っています。
そうだとすると、これまでの電波とか紙媒体に加えてコンピュータネットワークを使って自分達の作ったものを配信できる。 それってお得じゃないですか? とか思うわけです。
さて。
阪神ファンにとっては、アニキな存在である金本選手の例のサイトでの発言です。
あー、そっか~。そういうことだったんだ~。
自分の考えていることを他人に伝えるという行為は、思ったほど簡単なことではありません。正確さを大切にして言葉を選べば、 感情の部分が欠落し、いわゆるお役所文章のようなものになるわけですし、逆に熱い気持ちを伝えようとすると、長嶋的な「バッときたのを、 バシっととらえて、グゥワーンと振り切る」みたいな、一般人にはなんだかよく分からないことになるわけです。
それを的確に表現する術を備えていること。それがプロの表現者としてのマスコミの中の人に求められている役割の一つでしょう。
ところが、金本選手の発言がいみじくも言い表したように、マスコミの中の人から伝えられることが
おま、それ、違うで
ということを、読者や視聴者は長らく感じていたわけです。そして、そのことを従来なら取材対象でしかなかった当事者達が、 マスコミを介さず直接、読者や視聴者に届けられるようになった。そして、変な話、表現のプロではない人達の書いたこと、言ったことの方が、 視聴者や読者を納得させてしまうこともある。
金本選手の発言そのものは、金本選手の発言が正しいのか、マスコミ報道が正しいのか、なんとも言えないところです。 スローで再生すると、ピッチャーの握りはフォーク。それがすっぽ抜けたものをバッターがカーブと思うなんてこともあるわけです。 スライダーとシュート気味のストレート。うーん。
それでもなおね。
あ~、そーいうことなんだ~。
僕がマスコミの中の人が大嫌いなことを差し引いてもらっても、やっぱり
あ~、そういうことなんだ~。
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不謹慎です。最初に謝っておきます。
さて。
なんだろうね、と思うわけです。あそこまで事前に入念に準備しているにもかかわらず、犯行後についてはノープランというのは、 どうかしてるんじゃないか、そんな風に思うわけです。どうせなら、逃走ルートの確保、アリバイ作りについても、 犯行に及ぶ前に充分検討してもらいたいと思ってしまうわけです。
そういう意味で、計画的に人を殺そうと考えている人には、もっと推理小説を読むべきだと思います。そうすれば、 ナイフを購入するとか、レンタカーを借りるときの口実を考えるなんてこと以上に様々な準備が必要になってくることが分かるはずです。
たとえば指紋やDNAを残さないようにするにはどうすればよいのか。さらに返り血を浴びた衣服を処分するにはどうればよいのか。 犯行後、誰にも悟られずに現場から立ち去るにはどうすればよいのか。そして、犯行を行った時刻、 犯行現場にいられるはずないと思わせるにはどうすればよいのか。それらの様々な問題点を解消してから犯行に臨んで欲しい。 そんな風に思うわけです。
小説を読むのはまだるっこしい? それならゲームはいかがですか? 『影牢』とか。人を殺すために、 どれだけ用意周到にならなければいけないかよ~く分かるはずです。
少なくとも殺人を犯しても
「いや~、あのときのことはよく覚えてなくて~。自分じゃないみたいな。ドラえもんがなんとかしてくれるかな~って。 テヘっ」
と言えば死刑を免れるという切り札を頼りにすることだけはやめて欲しいと思います。
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今日は毒多めです。気に障った方、ご批判、ご自由にどうぞ。
お役人が文化とか芸術とかの分野に口を挟んでろくなことになったためしはない。
もう、みんなそんなことは分かっているはずでしょ? かつては小説がそうでした。その昔は浄瑠璃物がそうでした。 落語だってそうです。江戸幕府、明治新政府、戦後はGHQのちょっかいによって、今では噺家も忘れ去ったネタも一つや二つではありません。
お役人が口を挟んでろくなことにならない理由は単純です。
彼らが「保護・振興」と口にするとき、実際にやることは「規制」 に他ならないわけです。
「保護や振興のために支援する」
とお役人は言います。でも、支援を受けるには、一定の基準に満たないもの、一定の基準を超えたものであってはならないわけです。 ところが、その一定の基準は、唐変木の決めた基準です。唐変木が決めた一定の基準に一致しないものは、どんどん切り捨てられていくわけです。 結果、なんだか無難で似たようなものばかりがゾロゾロするわけです。
たとえば、日展に行ってご覧なさい。確かにすばらしい作品が並んでいます。素人目にもうまいと思います。でも、 驚きとか興奮を感じることは滅多にありません。確率的には喫茶店にふらっと入ったときの方が、 興奮する作品と巡り会う機会が高いんじゃないかと僕なんかは思ってしまいます。
いや、別にアニメーションとかゲームとか、特定の分野についてどうこう言うつもりはありません。 それぞれの分野にはそれぞれの事情があるでしょう。それでもって、中の人の八面六臂の奮闘ぶりを聞けば聞くほど、 応援したい気持ちになります。実際、アニメーションとかゲームとかは、一見、文化支援のように見えて、本質的には産業支援です。 お役人の決めた基準が実に有効に働く分野です。唐変木の決めた基準を肯定的に言い換えれば、特定の時代の特定の社会において、健全で安全で、 誰にとっても害がないことの証明になるわけです。産業は社会に対して責任を負わなければいけないわけで、社会を不安に陥れるようなものを、 たとえ一部の人々に需要があったとしても供給してはいけないわけです。さらに言えば、そもそも一部のマニア以外に需要がなく、 社会全体としては拒否感を覚えるようなものを、一企業ならともかく産業全体として前面に押し立てるようなことはしてはいけないわけです。
今回、僕が「そりゃ、あんまりだ!」と感じたことは、ここでは書きません。察してください。 マスコミの中の人が今回またまたスルーな感じなことには、やっぱりねという感じですが。
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被害者の皆様にはなんと声をかけていいか分かりません。ご遺族の皆様に対してもです。
さて。
ここしばらくは、足繁く通うこともなくなった秋葉原ですが、それでも月に1度、2度といった感じで出向くわけです。 映像なんかを見ても、それぞれの場所がどこか分かります。その意味で、ひょっとしたらと自分もという気持ちになってしまうわけで。
ともあれ。
何もかもが嫌になってしまう。
そういう気持ちは人間誰しも一度や二度あるのではないかと思います。また、遠い将来ではなく、まさに明日、 明後日の生活の見通しも立たなくなってしまったということも、特にこのご時世、大いにあり得ることです。そして、 自分自身がこんなに苦しんでいるにもかかわらず、周囲の人が幸福そうに生きている。そのことに対するやっかみの感情が起きる。
今回の事件で僕が怖いと思ったのは、上記のような比較的「分かりやすい」感情に突き動かされて、 事件を起こしてしまったのではないかと想像できる点です。
もちろん、「普通」の人は、上記のような感情になったとしても、 実際に他人を傷つけるようなことはしないでしょう。その意味では、犯人は「異常」です。しかし、 表層的には異常でも、内面的には誰しもが抱える感情なのではないかと思います。その意味で彼は「普通」 なのではないか。そう思うと、暗澹たる気持ちになります。
たとえば、カミュの『異邦人』で描かれたムルソーのように「太陽が眩しかったから」という動機であれば、第2、 第3の犯罪を防ぐことは可能でしょう。ムルソーは誰も(本質的には誰もが共有していることにもかかわらず) 理解不能だったから処刑すればよかった。社会的にはそれ以上でもそれ以下でもなかった。それでおしまいです。
しかし、今回の事件は、ムルソーのような形而上の部分ではなく、より形而下的な問題のような感じがします。その意味で、第2、 第3の事件が起きるのではないかと、そんな嫌な予感がしてしまいます。実際、すでに今年いくつか起こっているわけで……。
もちろん、僕の予想が外れてくれれば、それに越したことはありません。
ただ、犯人が「異常者だった」それで片付けるのだけは、それはちょっと違うんじゃないかなぁと思っています。6月9日現在、 ちらほらその辺のことをにおわすような報道がマスコミ方面から流れ出している感じの中で、本当に「ちょっと違うんじゃないかなぁ」 と思います。
あぁ、もちろん、犯人には極刑を望むわけですけれど。
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S.ダイベックの『僕はマゼランと旅した』(白水社)読了。
アメリカと聞いて、皆さんはどのようなことをイメージされたでしょうか。強さ、華やかさ、 自由な精神と言ったところを思い浮かべた方もおられるかもしれません。あるいはその裏返しとして、傲慢、浪費、 独善的といったキーワードを思い浮かべた方もおられるかもしれません。
しかし昨今、サブプライム問題を扱う際にしばしば流される映像に見られるような現実があることもまた事実です。 アメリカという国の中には、黒人やヒスパニック、その他の移民達を中心とした貧困層が形成する社会が存在しています。 本書はそんなもう一つのアメリカを丁寧に描いた作品です。
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今日は(今日も)どうでもいい話です。
「大地」と書いて「だいち」と読む。 「地震」と書いて「じしん」と読む。「ち」に濁点ではなく、「し」に濁点なわけです。
ところで。
「大地震」と書いて、皆さんはどう読まれるでしょうか?
「おおじしん」 それとも 「だいじしん」 どちらでしょう?
通常、音読みと訓読みが混在することは避けるようにとされています。その考えでいえば、「地震」が音読みの単語である以上、 その前についている「大」も音読みにすべきと言えるでしょう。たとえば、「大津波」を 「おおつなみ」と読むのは、「津波」が訓読み単語だからですし、「大都市」 を「だいとし」と読むのは、「都市」が音読み単語だからです。
ところが、テレビでは「大地震」を「おおじしん」と発音しています。どうなのか、それは? とマスコミの中の人に文句を言いたいところですが、そんな話を知人にしたところ
理屈っぽい!
と一蹴されてしまいました。
やはり言葉というのは、理屈ではなく、感情表現ということなんですね。
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メドウェイの『ミスタ・サンダーマグ』(講談社)を読了。
なんとも不思議な小説。
本書は、ヒヒに言葉を教えることに成功したと主張する動物学者が行方不明になるところから始まります。数年後、 動物学者が住んでいた街にヒヒの家族が迷い込んできます。ヒヒの一家は廃屋に住み着きます。その中の1匹は、人語を解し、 自らも人間の言葉を話します。
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大倉崇裕 『オチケン!』(理論社)読了。
ドラマ『タイガー&ドラゴン』以来、落語ブームが続いているようです。落語好きとしてはこの状況を好ましく思うものの、 とは言いつつ手放しで喜んでいるわけでもなく、なんとなく微妙な気分になっています。
さて、本書は落語を題材にしたミステリーです。
ひょんなことから大学の落語研究会(オチケン) に入部する羽目になった主人公が遭遇する奇妙な事件を落語のネタを元に解決していくというものです。
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フルニエの『ぼくの最後の黒い髪』 (ランダムハウス講談社)読了。
読後、最初の感想は、
頭のいい人は、同じ結論に達するものらしい。
というものでした。
本書はフランス人が書いたエッセーです。タイトルからも分かるとおり、中年から老年にさしかかった人物が、 今の世の中について皮肉を交えた苦言を呈するというものです。
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こんなメールが届きました。ちなみに、Popfilter ではスパム扱いされてしまっています。
表題:春の全国交通安全運動
送信者:NPO法人飲酒防止対策振興会
初春の候、益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。
大変お忙しいところ突然のメールで失礼します。
NPO法人飲酒運転防止対策振興会(http://ddca.jp/) では、飲酒運転撲滅のための『飲酒運転ゼロ宣言』(http://ddca.jp/zero.php) をする宣言者と協力者を募集しています。
このメールは、そちら様のホームページを拝見して、送らせて頂きました。飲酒運転をなくすための対策として罰則強化が図られましたが、罰則強化だけでは限界があります。 全てのドライバーが自らの自覚に基づいて宣言者になれば、飲酒運転を撲滅出来ます。『飲酒運転ゼロ宣言』は、 少しでも安心して暮らせる社会を実現する運動です。
多くの企業や団体、個人の方々に『飲酒運転ゼロ宣言』をお願いしています。
その上ぜひ、社会全体への意識啓発の一貫として、多数のホームページに当会バナーを掲載して頂きたくご依頼しております。
『飲酒運転から子どもの命を守る』ために、是非とも貴ホームページにも御記載して頂き、皆様にも同時に『飲酒運転ゼロ宣言』 をお願い申し上げます。
NPO法人飲酒運転防止対策振興会
〒515-1412 三重県松阪市飯南町向粥見166ー1
Fax: 0598-32-8701 E-mail: info@ddca.jp
HP: http://ddca.jp/
尚、お電話でのお問い合わせが同時多数になり、対応しきれなくなる為に誠に申し訳ありませんが、お問い合わせやご連絡につきましては、 メール及びFAXで頂きますのでよろしくご了承下さい。【HP添付用タグ】
<a href="http://ddca.jp/zero/"><img src="http://ddca.jp/imgs/z_banner2.gif" alt="飲酒運転ゼロ宣言をしてください" border="0"></a>
Popfilter でスパム扱いされた理由は、おそらく送信者の設定でメールアドレスが設定されていないことだろうと思います。 なぜあえてこの飲酒運転防止対策振興会の事務局が送信者のメールアドレスを設定していないのか、理由は定かではないのですが……。
ともあれ。
サイトをご覧いただければ分かるとおり、活動の趣旨そのものは誰にも批判できないような立派なものです。これを否定しようとすると、 飲酒運転賛成なのかと詰問されかねない感じですから。
しかし。
このキャンペーンでメールアドレスと氏名を登録させようとしているにもかかわらず、 キャンペーン開始から半年が経とうとしている現在においても、この団体は個人情報の取り扱いについて沈黙を保ったままです。 大丈夫なんですか?
少なくとも僕は、僕のサイトを楽しみにして来てくださってくれている方々に、余計なリスクを負わせるのは本意ではないので、 このキャンペーンへの参加は辞退させていただきます。
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僕自身、これまで人を殺したことはありません。
血を見ると気を失いそうになるヘタレな性分。痛くするのも、痛くされるのもごめんこうむりたいと思うようなタイプ。できれば、 これからもこの種の話から無縁な人生を送りたいと思うわけです。
とは言うものの、人間ですから、常に理性的な判断を行えるわけではないでしょう。かっとして、押し倒したら当たり所が悪くて…… とか、とっさに手近にあったもので……なんてことは、充分考えられるのかなと思います。
しかし、光市のあの事件は、今言ったこととは全然違うのではないかと思います。
さらに言えば。
僕が好きな人が強姦された。それだけで僕にとっては、加害者に対してどうしようもない気持ちになります。ましてや、 彼女が相手を拒否した結果、殺されてしまった。彼女の無念な気持ちを思うと、気が狂いそうな気持ちになります。さらにこの事件で言えば、 好きな人との間にできた子供まで殺されてしまっているわけです。もうね、被害者の遺族の方の心情を思うと、 いたたまれないという言葉が陳腐なほど、やるせない気持ちになるわけです。
僕自身は死刑廃止論にどちらかといえば共感します。しかし、死刑廃止の活動は立法の場で行うべきであって、 個別の事件の司法判断の場で行うべきではないと考えています。なぜなら、まさに光市の事件がそうであるように、個別の事件に立ち入った場合、 加害者を憎んでも憎み足りないという被害者遺族の感情の前には、どのような理性的な理屈も無力だからです。
僕は加害者の弁護をするなと主張しているわけでもありません。一見、誰がどう見ても有罪だと思われる犯罪者であっても、 弁護される権利は有するべきだと思います。しかし、それは被害者とその遺族を不当におとしめない範囲での弁護であるべきだと思います。 「復活の儀式で死姦した」とか、ましてや「(被害者女性が)我が身を守るために赤ん坊を投げつけた」なんてことは言って欲しくないのです。 それを聞かされた遺族はどう思うでしょう? ましてや被害者の女性と子供が生きていたら、なんて言うでしょう? 死人に口なしだからこそ、 弁護士は死者の尊厳は守って欲しいと思うのです。
正直、光市の事件の弁護団の発言を聞くと、腹立ちを通り越して嘔吐感を覚えます。懲戒請求は却下されたとのことですが、 弁護士会の方々、死者の尊厳を損なってでも弁護するのが弁護士の本分と本気で思われているのでしょうか?
と言いますかね、もし僕が同じ立場に置かれたら、今の弁護団の発言を聞くにつれ、
「もうね、裁判はいいよ。有期刑でもいいよ。その代わり、出所してきたら襲うよ。それで返り討ちにあって殺されてもいいし、 本懐を遂げて加害者を殺して、それで有罪になって死刑になってもいいよ」
という気持ちになると思います。これって自ら司法の価値を否定していることになりませんか?
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最初に、これはまだ子供を持っていない人間が言っていることです。従って、 子育てに関して全く当事者意識がないことを最初に告白しておきます。
さて。
ホワイトリストとかブラックリストとか一部で騒いでいるようです。いや、実際には騒ぎは起こってなくて、 あっさりとキャリア側はホワイトリストであったりブラックリストであったり、いずれにしてもフィルタリングそのものは行っているわけです。
個人的に不思議なのは、普段、言論の自由をことある毎におっしゃっているマスコミの中の人が、この件については、 特に何もおっしゃらないことです。
いいんですか、本当に? たかだか一民間企業が検閲権を行使することになって。
表現する人は、なにも選ばれた人だけではなくて、誰もが表現者たり得るのではないでしょうか。そもそもどんな文豪だって、 最初は素人のはずです。なるほど、非常に不快に感じるコンテンツもあるでしょう。危険な考え方もあるかもしれません。しかし、 考えてもみてください。ナボコフは? バタイユは? あるいは、カミュやソクラテスやニーチェは? 危険と言えば、 ヴィトゲンシュタインなんか、本当に危険ですぜ? 便所の落書きレベルと芸術家、小説家、哲学者の書いたものとを一緒にするなとおっしゃる? もし本気でそんなことをおっしゃるなら、アナトール学派の歴史学を一度ご覧になってください。
と言いますか、どこまで過保護なのかと。いい年になってから初めて悪癖を知ったのでは、取り返しのつかないことになりませんか?
なんて事言っていますが、実際に子供が出来たら心配することになるのでしょうけれど……。
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土屋賢二『妻と罰』読了。
僕はまだ独身です。と言うことで、まだ配偶者と呼ばれる人はいないのですが、それでも他人の恐妻家ぶりを眺めるのは面白いものです。 これ、なんでしょうね。僕自身、もしかすると尻に敷かれるタイプということもあるのかもしれませんが……。
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チャペックの『カレル・チャペックの警告』読了。
考えてみれば、チャペックが生きた時代は、個人よりも全体を大切にする時代でした。言い換えれば、 多様性よりも統一性に価値を見いだした時代です。人にとって、どちらがいいことなのかは、僕には分かりません。ただ、 どちらが僕にとって好きかと言えば、僕はチャペックのように多様な世界の方を好みます。
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今月は、S.ダイベック『僕はマゼランと旅した』、山口雅也『日本殺人事件』から9件を備忘録として公開。
● 備忘録
http://tomikura.s2.xrea.com/cgi-bin/oneline/index.html
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保守主義者にとっての世界とは、すでに存在していないものはみな良く、今存在しているものは全て悪い。保守主義者にとって 「良いもの」とは、常に失われたものばかりなので、彼らは新しいなにものも生み出すことができない。
一方、進歩主義者にとっての世界とは、まだ存在していないものはみな良く、今存在しているものは全て悪い。進歩主義者にとって 「良いもの」とは、常に存在しないものばかりなので、彼らもまた新しいなにものも生み出すことができない。
どちらを相手にしても、建設的な話にならない道理。
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岸本佐知子『気になる部分』読了。
翻訳者岸本さんのエッセーです。
本書も『ねにもつタイプ』同様、若干、電波が入っているような面も見受けられますが、 全体的には日常の細かな出来事を顕微鏡的観察眼で眺めた内容になっていて、さすがはベイカーの翻訳者と感心させられます。
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ボチボチ大きくなっている我が町ですが、住人が100名越えました\(^o^)/
ともあれ、100名越えたところで、輸送関係の機能が増えたみたいです。もっとも、今のところ、これがどのような意味があるのか、 まだ分かっていないのですけれど (^^;
ともあれ、記念に。
● MyMiniCity
http://tomikura.myminicity.com/tra/
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M.ズーサックの『本泥棒』読了。
現代版『アンネの日記』と『スローターハウス5』の帯に間違いなかった!
と言うのが、読書中の感想です。
『アンネの日記』についてはともかくとして、『スローターハウス5』と言われれば、ヴォネガット好きの僕としては、 とにもかくにも読まねばなるまいと変な義務感から購入してみたのですが、本当にうまく書かれた作品です。
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ということで、あけました。めでたいです。
昨年はいろいろありました。今年もいろいろあることでしょう。まー、のんびりと。
皆様にとっても今年1年いい年でありますように。
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今日から実家に帰省します。
実家、本当に田舎なので、AirH の電波が届かない様子。と言うことで、しばらくネットに接続できない模様です。
と言うことで、一足先に皆様よい年の暮れをお過ごしください。
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ぽつぽつ始めてみた My Mini City ですが、ぽつぽつ家が建ってきております。 基本的にはアクセスカウンターみたいなものですので、皆さんのおかげです。ありがたいことです。
まだまだあぜ道だらけですが、今日、どうやら一部道路が舗装されたようです。
ともあれ、これは何が面白いのだろう? ということを、まだ始めたばかりですが、ボンヤリと考えてみました。
面白いと思うこと
まだちょっとよく分からないこと
こんな感じです。
● 冨倉の My Mini City
http://tomikura.myminicity.com/
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えー、煙草を吸わない方、ホントすみません。
さて。
喫煙者にとっては、どんどんと生きにくい世の中になっているわけです。まー、煙草は嗜好品。吸わなくても生きていける。 それはおっしゃるとおりなので、反論する気も起きないのですが、気になるのは、
そもそも肺ガンになる最大の原因はなんだっけ?
確かに煙草の煙が肺ガンの一因であることは、ほぼ間違いないでしょう。それでもって、吸っている本人だけでなく、副流煙という形で、 周囲の人にも悪影響を及ぼしているのも、そうなんだろうなと思います。
でもね。
そもそも肺ガンになる最大の原因はなんですか?
ここから目をそらしているのは、どうかと今時珍しく車の免許を持っていない人間としては思うわけです。なぜ車の排ガスについては、 何も触れずに煙草なんでしょうかねぇ。
ま、いいんですけどね。
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一部で話題になっている「My Mini City」。僕も始めてみました。
●冨倉の My mini City
http://tomikura.myminicity.com/
まだ今ひとつよく分かっていないですが、箱庭的な面白さ。ちょぼちょぼ住人も住み始めた様子です(^^
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個人的にマスメディアの中の人に対してあまりいい感情を持っていないというのもあるのですが……。
おおむね、36年間生きてきて、一つ僕的方針として持っているものとして
マスコミが言った反対のことをすれば10回に6回はうまくいく!
というものがあります。
もちろん、前述したとおり、このようなひねくれた考え方をしてしまうのは、僕がマスコミ嫌いってのもあるのですが、他方で、 マスコミが話題に取り上げるのは、多くの場合、すでにピークを過ぎてからというケースが多いように僕には思えます。そのため、マスコミが 「流行ってますよ~」と言ってから飛びつくと、だいたい痛いことになります。
さて。
Wii と PS3 と Xbox360 の勢力図について、ここのところ、いろいろとコメントが出始めています。曰く。
などなど。
で。
正直、だからどうしたというのか? というのが、今の僕のスタンスです。やりたいゲームソフトがあるゲーム機を買うのが、 個人としては幸せなのでは?
その意味で、むしろ知りたいのは(そして、本当はマスコミの中の人が分析しないといけないのは)、 各プラットフォームメーカーのソフトに対する戦略なのではないかと思うわけです。
ご存じの通り、ゲームソフトが世の中に出るまでに、企画を採用するところから始まり、最終的な流通量の決定まで、 プラットフォームメーカーが関与する余地は比較的大きなものがあります。各社ともに、 一部の政治的に配慮しなければいけないソフトメーカーを除いて、おおむね自社ブランドに沿ったゲームソフトを(結果的に) 作らせる傾向にあります。従って、仮にビジネスとして検証するとして、ゲーム業界の動向ないし各社の営業成績(株価) を判断するのに必要な考慮要素は、各社のソフトウェアの傾向と、それに対するユーザニーズ(ないし市場)の多寡だと僕は思います。
そこで。
任天堂は、「家庭」で遊べるもの、CM で伝えようとしているように、両親、 場合によっては祖父母も一緒にというものを基本的な方針としているように見受けられます。
MS は、男性のコア層が遊びたいと思うようなものを基本的な方針にしているように見受けられます。
問題はSCEです。現状のラインナップを見る限り、MS と同様のターゲット層を想定しているように見受けられます。その意味では、 今マスコミが書いているように
1位の任天堂は独走。2位の座を巡って、SCEとMSが熾烈な争い!
という感じなのでしょうが、ちょっと待った。SCEは、まだ隠れた金鉱を持ってるはずですぜ。
もっとも、その隠れた金鉱のタイプのゲームに僕の食指は動かないのですけれど。
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岸本佐知子『ねにもつタイプ』(筑摩書房)読了。
岸本さんと言えば、僕の中ではベイカーの翻訳者です。ベイカーの作品の持つ、柔らかい優しさを僕が楽しめるのも、 岸本さんの訳があるからと言っても過言ではないと思っています。
本書は、その岸本さんのエッセー集です。
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