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2008年7月

2008年7月11日 (金)

[政治] 政治家の品格

 テレビ番組中の一部の発言を切り出して、その内容を叩くのもどうかと思いつつ、加藤紘一氏です。

● 加藤紘一オフィシャルサイト
http://www.katokoichi.org/

 北朝鮮拉致問題について、「拉致被害者を北朝鮮に帰すべきだった」との発言が物議を醸しているわけです。

 加藤氏の発言内容が正論か愚論かは、ひとまず横に置きます。

 加藤氏が言うように被害者を帰していたら、今も交流が続いて他の拉致被害者も今頃帰国できていたかもしれません。あるいは最悪の結果になっていたかもしれません。神ならぬ人間の身。どちらになっていたか分かるはずありません。

 また、「国家は国民を守るためにある」のか「国民は国家を守るためにある」のか、言い換えれば「一人の人を守るために多くの人が犠牲になる」ことをよしとするのか、「多くの人を守るために一人の人が犠牲になる」ことをよしとするのか、どちらの主張が正しいかも僕には分かりません。どちらの言い分にも一理あると日和った考え方をしてしまいます。

 むしろ気になったのは、より本質的な部分です。

あのときこうしていたら、今こうなっていたはず!

 上記のような思考方法は批評家のものであって、なんら建設的なものではありません。むしろ、

将来こうなるために、今こうする!

 政治家の方々には、このような思考方法でいてほしいというのが僕の考えです。将来への展望、展望を実現するための案、そして実行力。これが政治家に求められる資質ではないでしょうか。政策論争とは、展望が正しいかどうか、展望が正しいとして実行案に不備がないかどうか、これを論じるものでしょう。

 その意味で、今回の加藤氏の発言は床屋談義レベルとしか言いようがありません。

 大きなお世話だとは思いつつ、加藤さん、そろそろ政治家を引退して評論家に転身された方がよろしいのでは?

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2008年7月10日 (木)

[マスコミ] 匿名で意見を言う人は卑怯だと思う

ネットで忘れた頃に亡霊のように現れる「匿名・実名」に関する論争ですが、正直に言って、なぜこれが論争になるのか僕にはよく分かりません。

匿名で意見を言う人は卑怯だ!

この意味が僕には全く分からないのです。

例えば、上記の主張をされる方(例えば鳥越俊太郎など)は、堺屋太一(本名:池口小太郎)なんかにも好悪、意見への賛成・反対は別にして、「ペンネームを使っているから卑怯だ!」と直接言えるでしょうか? 「有名人と一般人を同一に扱うな!」と反論されるかもしれませんが、デビュー直後の堺屋太一は一官僚に過ぎなかったわけです。そして、今は無名でも将来有名になる人だっているかもしれません。そもそも、有名人と一般人で主張の正しさを判断すること自体がナンセンスです。

あるいはまた、僕はたまたま「冨倉雅也」とあまり一般的ではない姓なので、その気になれば住所まで特定することが可能かもしれませんが、例えば「田中一郎」という人物は本名を使ったとしても、どこの誰かを特定することは、依然として困難です。従って、実名か匿名かだけで卑怯かどうかの断定を行うことは僕にはできません。

「卑怯である」とは、自分が絶対に攻撃されない位置から他人を攻撃することではないかと思います。いわゆるネットイナゴが卑怯なのは、匿名だからではなく、集団リンチに荷担しているから以外の何者でもないと思います。さらに言えば、実名であっても卑怯な行為は散見されます。例えば、表現する場を独占している立場にあるマスメディアの中の人が、社会的正義という名の下に一方的に一般人を断罪する行為なんかは僕の価値基準から言えば卑怯です。

百歩譲って、匿名であることが卑怯だとしましょう。そうだとするならば、なぜ卑怯者の発言にそれほど神経質になる必要があるのでしょうか。所詮は負け犬の遠吠え。吠えるだけ吠えさせておけばいい。耳を傾ける必要もない。それで終了です。

むしろ、匿名を否定する人の背後には、これまで世論という名で自分たちがコントロールできた一部の人たちの意見が、無名の人々によってその誤りを指摘されることに対する焦りがある。そんなことが透けて見えるのは僕だけでしょうか?

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